リスクの多い双子出産を乗り越えた高齢妻 3つの命は紙一重

高齢ですし双子妊娠ということもあって帝王切開して生む予定だったんです。

もう臨月だしそろそろ先生と出産日のことを相談し物理的準備も心の準備もして出産に望むはずでした。

でもある日突然、一足先に破水してしまったのです。

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37週4日目、夜中のできごと

妊娠後期に入ると頻尿になる方が多らしいですよね。

私の妻も妊娠8ヶ月に入るころからそうなり夜中も2、3時間おきぐらいには必ず起きていました。

その日も妻は夜中3時頃、私達の寝ているベットから抜け出して用を足しにいったのです。


しばらくするとトイレの中から私を呼ぶ声がしました。


私は眠りからさめきらないクラクラの状態でトイレまで行きドアの外でどうしたかと聞きます、

すると妻はもしかしたら破水したかもしれないと言うのです。

私は妊娠後期のおりものではとも思ったのですが、量や質が全く異なり明らかな異変を感じた妻は破水だと確信しているよう。


どんどん流れてくるといいわれ、一瞬で私の眠気も冷めました。


「生まれるッ!?」


予期しない突然のできごとに気持ちがあせりましたが、なんとか押さえ込みながら入院のために用意してあったいろいろなものをクルマに詰め込み病院に向かう準備をしました。


陣痛が始まる

破水して流れでてくる羊水の量はまださほど多くなく、体を動かしても支障がなかったのは幸いでした。

破水の量がすごければそこら中べたべたになり、着替えてなんなくクルマに乗り込むことも大変だったではずですから。


病院は家から5分かからないところにあり、日頃の交通量も少ないうえ夜中ということもありすぐに着きました。


人でごった返している昼間の院内と違い夜中は人一人見当たらず静まり返っていましたが、やはり産婦人科のエリアは物音が聞こえましたし何人か付き添いの方が活動していました。



受付をすませるころに妻の陣痛が始まり時折お腹をいたそうにかかえています。

車いすが欲しかったのですが残念ながらなく、人のいないナースセンターに入り椅子を借りて痛みをこらえてもらいました。



一人の看護婦がようやく来て受付をすませてもらい私達おは産前の検査を受けることを指示されます。


分娩する前に受けるエコーや心電図などの検査は陣痛の痛みをこらえる妻の肩を担ぎながら移動したためいつも検査する時の3倍は時間がかがったでしょう。

一通り検査を終えたのが家を出て2時間ほどたったぐらい、陣痛も1時間半ほど我慢していました。


家から駆けつけていただいた担当の先生に診てもらうと子宮口が大分ひらいているということが告げられ、予定していた帝王切開をやめ自然分娩で生むことを勧められました。

というよりその状態ではもう手術は間に合わなかったというのはあとで聞いた話です。

そしてすぐに妻は産室に入り私は産室の外で待ちました。


産室の前で

産室に入ったのは破水から約3時間経過した朝6時頃。

ひっそりと静まってる病院内は、ときおり忙しそうに産室を出入りする看護婦や助産婦たちの声がよく響きます。


私達のほかにももう一組赤ちゃんが生まれるのを待っている人達がいるようで、真剣な表情で産室の扉を見つめていました。


生まれれば産室から産声が聞こえてきてもよさそうですが、厚めのドアがピッタリ閉まっていますし二重扉になっているので耳を澄ましていても物音すら聞こえません。

ただかすかな赤ちゃんの産声のような空耳がときおり私の耳をかすめることは何度かありました。

その度に何か知らせがあることを期待しますが、誰も出てこない産室のドアは私の気持ちをさらにじらせます。


37歳という決して若くはない年齢で双子を出産すること。

さらに予定とは違い切開せずに自然分娩という形になったのはリスクが高まったことを意味します。


もしものことが頭をよぎりますが、そんなはずはないと自分の気持ちを抑える私。

ドアを見つめたまま妻と生まれてくる子供の無事を祈りましたが、じっと産室の前で待つしかない無力さはこれまで感じたことがなかったです。

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お産を待っている途中、義母や親戚が駆けつけてきてくれました。


突然のことで、しかも60㎞以上離れた農村から来てくれたわりには早い到着です。

状況を説明しとぎれとぎれになってしまうおしゃべりをしながらみんなで出産を待ちます。

期待と不安をいだきながらの会話はぎくしゃくし時間の流れはさらにゆっくり感じました。

ふと窓の外に目をやると空いっぱいに朝焼けがひろがっていました。

特別な時に見るきれいな景色はさらに美しく見え、あせる心を多少なりとも落ち着かせてくれたように思います。


なぜか先に出てきたのは次男

突然産室の二重扉が開きました。


看護婦達が一台の小さいベットを推して出て来たのです。



出てきた一人の赤ちゃんは次男坊で長男はあとで出てくると告げられた私達。

生まれたのが二人の男の子だとわかり歓声を挙げたかったですが、緊張感ある看護婦達の口調はそれを許しません。

看護婦は指定された病室にこの子を推していくように言うと早々と産室に戻っていきました。

小さいベットにはタオルにくるまれた生まれたばかりの我が子が横たわっていて小さく息をしている音がクークーと聞こえます。


寝ているのか起きているのかわかりませんがそんな赤ちゃんを見ながら私達は静かに祝福。

私は感動を抑えきれずベットを推しながらも赤らんだ小さい顔に目をやらずにはいられませんでした。


この上ない温かな気持ちになり、自分の体が軽くなったというよりも中に浮いているんじゃないかとさえ思わせます。

産室から出てきていない妻ともう一人の子供の無事も心の中で祈り,きっと二人も無事なはずだと自分に言い聞かせながら病室に向かいました。


3人の行き先はそれぞれ

生まれたばかりの次男を推していったさきの病室は二つのベットが設置されている小さめの部屋。

中には誰もおらず私達だけの個室状態で使えそうでしたし南側でトイレや洗面台もついていて条件はよかったです。


しかしそんなちょっとしたうれしさはすぐにかき消されます。

看護婦が運んできたガラス張りの機械はすぐに保育器だとわかったからです。


酸素を送り込む管を鼻につけられ紙おむつだけの状態で保育器に入れられた次男坊。

肺がうまく発達していない可能性があると言われ、先ほどから呼吸のたびにクークーと聞こえるのはその症状だと言います。


しばらく様子を見てその症状の改善が見られれば問題ないといわれましたが心配でたまらない私。

管に続いている機械の数値を見ているように看護婦に指示されそのまま一人でその部屋に残りました。

保育器に入れられる時に目をさまし、そのままゆっくりとした動きで動いている次男坊は元気そうで何の問題もなさそうに見えますが、やはり呼吸する時の音が気になります。

よくなってくれ、と願いながら次男坊を見つめ続けてどれくらい時間が経ったでしょうか、親戚が妻と生まれてきた長男の容態を知らせにやってきました。

長男は無事に健康な状態で生まれたと聞いて一安心。

しかし妻は出産時に大量に出血ししばらく産室から出ることができなかったようです。



今は治療をうけ病室に移動したと言うことでしたが血液検査の結果、肝臓に関する数値に問

題があったようでまだ楽観できる状態ではないとのこと。

私が次男坊を親戚に託し妻の様子を見に病室に入ると、一つのベットの周りを10人ほどの医者や看護婦が囲んでいました。

そしてその真ん中で医師達の質問に答えている妻の体は全体的に黄ばんでいてその姿に私は驚きます。

肌だけでなく目の白目の部分も黄色く染まっているいて明らかに正常ではありません。

ただ意識はハッキリしているようで私は少し安心しましたが医師と受け答えしている妻はとてもツラそうです。

部屋の片隅には小さなベットがあり、唯一無事な長男が口をモゴモゴさせながら寝ているのが見えました。


その時初めて長男を見た私は双子という奇跡が自分の身に舞い降りたのを実感します。

双子が生まれるのは中国のほうが多いとは聞きますが、それでも滅多にあることではありません。

また昨年の流産の悲しみもあり、今回本当に生まれてきてくれたことが嬉しくて仕方ありませんでした。

みんな無事で退院させてあげたいと強く思わずにはいられなかったです。


田舎には次男のクスリがない

次男坊はまだ自分の力では生きていけない未熟な体だったと知ったのは妻に少し付き添ったあとです。

とりあえず投薬し様子を見ることになった妻を見舞いにきた親戚にまかせ、次男坊の病室にいくと医師達にそう告げられました。


次男坊の呼吸は改善しておらずまだクークーという音が聞こえます。


医師達はこのままもう少し様子を見てもいいが、もしこの症状が改善しない場合は、この病院では施す処置がないといいます。

肺に直接投薬しなければならないらしいのですが、この病院にはそのクスリや設備がないというのです。


中国内モンゴルにある私の住む街は小さく、街一番のこの病院だとしても都市部の設備ほどはよくありません。

不意に田舎暮らしの欠点におそわれ愕然としました。

こんなことなら日本で生めばよかったのにと後悔の念で頭がいっぱいになります。

今さらなことを考え苦い顔をしている私に医師達が提案しのたはもっとよい病院への転院でした。

そんなことはまったく頭になかった私はそんなことありえるのかと少し呆然とします。


私の故郷のような設備のよい都市部の病院では、重病であればあらかじめ大きい病院にかかるはずなので緊急で転院ということはまず考えられません。

そして今いるこの街からもっと条件の良い病院のある都市までは160キロも離れていますが、そんな長距離を転院するというのも私は聞いたことがないからです。


そんな日本の常識を持っている私は疑いつつもそんなことは可能なのかと聞くとみな可能と言い親戚達にもそうするよう勧められます。

みな平然と転院を勧めますがこちらではそのようなことはよくあるのでしょうか。


確かに設備の乏しい小さい街の病院からの転院は全く不合理なことではありませんが日本の都会で育ち、まだ人生経験の少ない私にとっては到底思いつくことではありませんでした。

中国では日本での常識が通用せずに困惑することがありますが、これもその一例です。


想定外の展開へ

家の近くの病院で帝王切開をして出産し、入院中は親戚に手伝ってもらいながら妻と子供の世話をするという予定が当初はありました。

病院に泊まり込みで看病する人の布団や食事も用意はできているほど産後の計画は周到だったのです。


家も近いので何かあったらすぐ来れますし足りないものも時間をかけずにもってこれるのでなにも心配することはないはずでした。

しかし転院となるとどうでしょう。

まず誰が転院するか、次男坊だけ?妻も?長男は?



そしてどうやって大きい街まで行く?救急車で?クルマ?新生児ってクルマに乗せれるの?


また誰が転院につきそうか、お義母さん?お義姉さん?義弟さん?泊まるところは?食事は?

大量にある入院の為に準備したものは全部持っていく?無理じゃない?

などなどどんな状況になるか全く想像できませんでしたが次男坊の容態では病院に残って回復を待つという危険な賭けは避けたかったので転院を選択。



出産前は全く想像しなかった展開に突入したのです。


危なかったお産

ちょっと時間をさかのぼった妻の出産時のこと。

私が次男坊のそばを離れ妻を見に行った時でこそ治療が終わり落ち着いた様子でベットに横になってはいましたが、お産の状態は非常に危険だったといいます。


前のほうでも少し書きましたが、担当の先生が診察した時にはすでに子宮口が開いていてもう手術は間に合わない状態だったのです。

つまり自力で生まなければ3人とも命を落としていたというなんとも恐ろしい状況の中、助産婦たちも焦ったほどなかなか生まれなかったと言います。


50を越えた年配の先生が主治医でしたが、その人に激しく叱咤され振り絞るように力を入れて生んだと妻はいっていました。


激しい出血とお産の痛みで力つきて昏睡状態になってしまいながらも生んだ子は2650gと2800gで双子としては驚くほど大きいといいます。


今回の状況でこんな大きい双子を自然分娩で生めたのは神のご加護がなければ無理だっただろうというのが先生の話です。

あらかじめ切開して出産するのであればそんな危険はなかったといいますが、突然の破水だったためどうしようもありませんでした。

先生は出産の兆候らしきものはあったといいますが、素人にはわかるはずはありません。
        →先生のいう出産の兆候の記事


みんなそろって転院

私は妻と子供の命が危険と紙一重の隣り合わせだったという話を聞いて怖くなりました.

しかしそんな危機を乗り越え3人とも無事でいてくれたことに神様に感謝せずにはいられませんでした。

そして妻に「大変だったね、お疲れさま、ありがとう」と心から言いました。

しかし私一人だけ生き残るという最悪の結果を想像すると今でもまだその怖さを感じずにはいられません。

結局転院は医師や親戚と話し合った結果、3人そろってすることになりました。

妻の容態にしても大病院で治療を受けたほうがよさそうですし、妻側と新生児側の二手にわかれて看病をするよりは一塊のほうが都合がよく母子も安心すると思ったからです。

次男坊の容態は一刻を争うようなことではありませんでしたが、それでも早いほうがいいということで持てるものはクルマ2台に詰め込み親戚もそろってその病院をあとに。

妻と次男坊は救急車で、健康な長男は私のクルマで160キロの道を走ることになりました。
     →生まれて一日目の新生児をクルマに乗せて転院したことの記事

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転院後、無事に退院し家に帰ることができた妻と子供。

双子の自然分娩というリスクをギリギリ乗り越えることができました。

今回のお産は双子妊娠という予想外の出来事からはじまり出産後も転院すという予想外の結果でいろいろあたふたしましたが結果よければ全て良し。

私と妻の2人だけの生活から2倍の4人になり、にぎやかな毎日を過ごしています。

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